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広告不信

1950年代まで、商品は出せば売れる時代でした。広告は商品を告知するだけでニュースになった。商品そのものが広告の主役でした。
50年代後半から高度経済成長期が始まると市場には競合商品がひしめくようになり、消費者は選ぶことに喜びを覚えていくのです。
60年代に入ると、画期的な新製品は出尽くした感があり、消費者が商品に感動し難くなりました。
商品の部分的な進化(付加価値)が広告のテーマになると、何が新しいのか納得させる説得力が必要になってきました。
成長が右肩上がりの70年代、オイルショックの影響や公害問題など、急激な発展のツケが回ってきて大量生産、大量消費に疑問が生まれました。モノに囲まれた消費者たちが本当の豊かさを模索する風潮に応えて、生活提案型の広告が主流となりました。多種多様なメーカー・企業から送り出される生活提案の情報洪水の中で、消費者は広告に踊らされるのに次第に飽きてきました。
低成長ながら経済が世界トップレベルで安定した80年代は、ライフスタイルの多様化が進み、生活者の勝手好き好きに応えて多品種少量販売の市場が形成されました。商品を売るために企業が送り出す生活提案が、ライフスタイルの細分化が進んで届き難くなりました。

バブル経済の崩壊。不景気が進行する90年代は、商品名の連呼型広告が登場しました。日々の情報量の多さに加え、生活者は必要な情報のみをチョイスするようになり、広告への注目率が下がり始めました。(正しくは、注目率の低さに企業が気付いた。)たとえば新聞広告を見る時間は、わずか3秒を切ると言われるようになった。その3秒で情報を伝え、商品名を覚えてもらうために広告メッセージの記号化が始まった時代でした。
キーワードとしての商品名が広告の主役になった2000年代はどうでしょうか。不景気の長いトンネルを手探りで進み、途中でリーマンショックという崩落事故まであって、デフレ広告を取り巻く環境に改善の兆しは見えません。それどころか産地偽装とか、メーカー工場のモラルの低下とか、商品そのものの信頼性も失われつつあります。消費者は、商品にも広告にも用心深くなりました。

商品を情報化すること、それが広告の役割です。魅力のある情報でなければ、人は興味を持ってくれません。いつの間にか商品の魅力を増幅させることが広告の主な役目になり、ついに化けの皮が剥がれて信用を失ったのです。